2012/04/08
個性が欲しい
真面目に撮ったものからそうで無いもの。 暗めのものから明るめのもの。 街で撮ったものから海で撮ったもの。 絵ハガキ的なものから物語的なもの。 こんな風に節操なくアップしていると、どうしても没個性になってしまいます。 まあ、ここは趣味でやってるブログなのでそれでも良いと言えば良いんですが、そろそろ自分の写真にも個性が欲しいなーと思うこともあったりする訳で。 とある雑誌で「大量生産、大量消費は大衆への迎合が不可避であり、大衆への迎合と文化は相容れない。良いものは少数にしか支持されず、大量生産にはなじまない」というコラムを見たんですけど、これはもう苦笑いするしかないですね(笑) この問題は真面目に取り組めば取り組む程、誰しもが苦悩する問題なんじゃないかと思います。 なので、自分の世界観を作ろうと思ったらある程度ファン離れを覚悟で取り組まなければいけません。 それともう1つの問題が、表現に縛りが発生してしまうこと。 例えば悲しげな写真を作風としていた場合、元気で明るい良い写真が撮れたとしても作風に合わないからと公開出来なくなってしまいます。個人的にはむしろこっちの方が問題。 まあ、そうは言っても作風なんて自分の人生経験の積み重ねや物の見方の変化、写真との向き合い方等が変わることで変化していくものなので、不変的なものにはなりえないとは思いますが…(笑) でもどうせなら「あ、これはkotakuoさんの写真だ」とひと目で見て分かるような写真が撮れる様になりたいなぁ…。
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2 件のコメント:
写真を見たら「あ、この人かな」って思われるような写真が撮るってのは
kotakuoさんをもってしても難しいもんなんでしょうか~。
「らしい」写真と「自由な表現」のせめぎあいってきっと永遠のテーマなのかもしれませんね。
おいらなんぞは、まだ「見てもらうことができる写真」を撮るのに必死でして(^^ゞ撮ったそばから選択の余地無くアップしています^^;。
そんな自分でも「いつかは『らしい』写真を」とは思っていますが、
最後は写真のチョイスなのかしら・・・とも思っていたりして。
いいな・・・って感じる心は、その人の経験や生き方が反映するものなのだから、自分が「いいな」って選択した結果が「~らしさ」になれば一番いいのですが・・・これも理想なんでしょうか^^;。
>ゆうたんさん
うーん、ある程度拘って撮った写真なら、もしかしたらわかる人にはわかるかもですが全体的に見ればやっぱり埋もれちゃうでしょうね。
経験や生き方が「らしさ」に繋がるっていうのは同感です。
でもそこに傾倒したくないって想いもあるんですよね(笑)
写真展とかは真面目にやって、ブログとかはゆるくてもいいかなとは思ってるんですけど、普段から質の高い写真を提供してないとファンがつかないかなー、とか。
難しいですね(汗)
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